(オープニングジングル)
荒木:
皆さんはじめまして荒木博行です。今回からお送りする「読書とは何か」では、さまざまなメディアがあるのになぜ読書から学ぶのか、もしくは読書から私達はどうやって学んでいったらいいのか、その点について考えていきたいと思います。
初回なので私の肩書きや仕事について紹介したいと思います。私は大学を卒業後、住友商事という会社に入社しました。その後、グロービスというビジネススクールに転職をしたわけなんですけれども、そのグロービスの在籍時代に『ビジネス書図鑑』という本を執筆しました。私が本と深く関わりを持ち始めたのは、この『ビジネス書図鑑』を執筆してからかもしれません。その後独立をしまして、「学びデザイン」という会社を立ち上げましたが、その独立後に株式会社フライヤーという会社、ご存知かもしれませんが本の要約の会社ですね、その会社と一緒にやろうということになり、今はアドバイザー兼エバンジェリストという形で本の魅力であるとか、本の要約とどうやって付き合っていくか、そんなことを仕事としてもやっております。その他ですね、自分の会社で引き続き執筆をしておりまして、近著では『藁を手に旅に出よう』、そんなような本も出したりしております。そんなことで、私のビジネスパーソンの人生の後半部分は、かなり本と付き合いがある、そんな仕事を主にしてきたということになります。
ここから、本についてちょっと語っていきたいなと思っております。個人的な話をすると、私にとって好きな本は、とにかく分厚い本なんですね。分厚い本が大好きで、私はよく鈍器と言っておりますけれども、この分厚い本を作るって実は執筆者側もすごい大変なんですよね。なかなか書けるものじゃないんです。この分厚い本があるということそのもの、それが世に出ていることそれ自体が、ある意味で知識の源泉になっているような、そんな印象を持ってまして、まず分厚い本が出ると無条件で買ってしまう。著者もそうですし、出版社側もそれなりの覚悟と熱意が必要なんですね。こういう分厚い本を出すということ。そんなこともあって、こういう本をよく読んだりしております。
さて、全6回を通して「読書とは何か」ということを考えていきたいと思いますが、初回でありますので、なぜ今読書から学ぶのか、ということを考えていきたいなと思います。読書から学ぶ、なぜ学ぶのかというのは、過去からもいろんな言説、本も出てたりしておりますけれども、最近はやっぱりちょっと流れが変わってるんじゃないかなと思っております。それはなぜかというと、テレビラジオはもちろんのこと、ネットメディア、YouTube、もしくはオンラインサロン、そんな学びのサポートをしてくれる代替物が世の中にいっぱい出てきているという状況があるからなんですね。つまり、楽に学べるツールがいっぱいあるわけなんですよ。だから本から学ばなくていいじゃん、って思ってる人がやっぱり多いわけなんですよね。そんな代替物がある中で、なぜ我々が、あえて本から学ばなくてはならないのか? そんなことを今日は考えていきたいなと思います。
答えから言いましょう。「本は余白がある」。これが最大の特徴なんです。つまり、情報量が少ないんですね。YouTube、もしくはいろんなネットメディアとかもありますけれども、視覚とかいろんなことを通じて、我々のアテンションをしっかりとつかまえてくれる、そんな特徴があります。それがゆえに自分たちが考えるということをしなくても済むのが、いわゆる映像付きのメディアであるとかで、オンラインサロンだとか、そういったことの特徴なわけなんです。だから圧倒的な迫力があり、魅力があるということなわけですよ。それと比べるとですね、本は絶対的な情報量が少ないわけなんです。だから、自分が能動的に働きかけないとなかなか得られるものが少ないということがあるわけなんです。そこに読書の意味があると私は考えております。
つまりどういうことかと言うと、テキストという情報量が少ないメディアだからこそ、自分が意味をつかまえに行かなくてはならない。だからこそ、自分のその場で経験が乗っかってきたり、もしくは自分が想像したりとか、そんなことを読書という行為を通じて我々は無自覚のうちにやっているということになるわけなんです。だからちょっとYouTubeを見てる自分の姿を想像してもらえばと思うんですけど、要するに椅子に寄りかかってなんか受け身に情報を吸収している、そんなシーンが想像できるんじゃないかなと思うんですけど、本は逆なんですね。イメージですよ。前のめりになって情報を自分から「これはどういう意味なんだ」と、「このとき自分はどういう考えを持つべきなのか」と、いろいろ問いかけをしながら意味をつかまえていくというのが、読書の魅力であるんじゃないかなと思います。
そうすると読書っていうのは、想像力であるとか、もしくは自分側がどんな経験を持っているかっていう、ある意味、相互作用っていう事になっていく訳なんですね。自分がすごく必要になってくると。だから教えられるということでも必ずしもなくて、自分がその意味をつかまえに行くと言う事が大事になってくる。小林 秀雄が『読書について』という本でこんな名言を出しています。「文は人なり」という言葉なんですね。「文は目の前にあり、人は奥の方にいる」と。それはどういうことかというと、書き手がその文章の裏側に存在しているということなんですね。読んでいる人は、その目には見えない書き手の存在を意識し、そして書き手と対話するがごとく、少ない情報から想像しながら書き手と対話していく。そんなことをしていく行為なのかなと、私は捉えております。つまり、そういう意味ではかなり時間と努力を要するものである。そんな風にも言えるのかもしれません。そんなことを通じてで、ほかのメディアにはない知的な相互作用、インタラクティブな作用。そんなことが必要になってくるんじゃないかなと思います。
そうすると何が起きるかということなんですけれども、本は先ほども言いましたように相互作用なので、勝手に自分が働きかけるということをやるわけなんです。そうすると、結局読み終わった後に、その本というのは、その人にとってのオリジナルのコンテンツになるってことなんです。自分が意味を付与するその結果として、その本は著者が書いたという文脈があるんですけれども、そこに自分の意味を上書きするからオリジナルのコンテンツになっていくという、そんな特徴があるんですよね。だからそれは、他の圧のある情報量が多いメディアとは比べ物にならないぐらいオリジナリティが出てくるわけなんです。自分が意味を乗っける、自分がそこに対話をしていく。その結果として本というのは、読まれた人の分だけオリジナルなものになっていくんじゃないかなと思います。そういう意味において、今この世の中で考えていくと、本というのは相対的に弱いメディアになっていると言えなくもないんですけど、弱いからこそ今日的な意味があるんじゃないかなと思います。
ということで、次回からは本について、「まあそうは言っても読書って難しいよね」とか、読書の病みたいな表現を私はしますけれども、その「読書の病」。本とどうやって向き合っていくのか、色々な角度から読書について考えていきたいなと思います。ではまたお会いしましょう。荒木博行でした。
(以上書き起こし終了)
1. なぜ読書から学ぶのか
2. 読書の病
3. どんな本を読むべきか
4. 読書で重要なのは読書後である
5.「消費から生産へ」という読書体験の転換
6. 自分とコミュニケーションするための読書
荒木博行さん
慶應義塾大学法学部政治学科卒。住友商事に入社し人材育成に従事。その後、グロービス経営大学院でオンラインMBAの立ち上げや特設キャンパスのマネジメントに携わる。2015年、グロービス経営大学院副研究科長に就任。2018年同社を退社後、株式会社学びデザインを設立し代表取締役に就任。