この仕事、音声メディアVOOXに携わるようになり、イヤホンを使うことが増えた。それまでは外で音声を聞くことはあまりなく、オンライン会議での使用にほぼ限られていた。
今は毎日のようにスマホで音声を聞いている。VOOXはもちろん、他の音声メディアもそう。その流れで音楽を聴く回数も圧倒的に増えた。するとイヤホンへのこだわりが出てくるようになる。
ヘッドホンに比べると軽くて圧倒的に使いやすいのだが、耳への装着感にいつも微妙な違和感を感じる。触覚は実に敏感なもので、体との接点の質的な感覚は言葉に表現しづらい、「快・不快」が生まれるのだ。
そんな中でお気に入りとなったのが、bocoの骨伝導イヤホンだ。
骨伝導なので、耳の中に差し込まなくていい。それだけで、体が感じる窮屈感が劇的になくなる。詰まっていたものが取れたような爽快感がある。
この「耳の中に入れない」効果は、外部の音を遮断しないことである。電車に乗っていてもアナウンスは聞こえるし、街を歩いていても後ろから来るクルマの音に気づくことができる。しかも、流れる音声はちゃんと聞こえたままなのだ。最初は、こちらの音が外に漏れているんじゃないかと思ったが、その心配はまったく無用だった。
この外の音を遮断しないことで、自分はイヤホンをして自分の世界に没頭しながらも、外部にオープンな関係を築いているかの感覚が好きだ。イヤホンをしている人を見ると、「私に話しかけないで」というシグナルを感じる。それはあたかもコミュニティに対して閉鎖的な態度を取るかのようだ。みんながみんな街中でイヤホンをしている世界は、人が集まっても誰もが周囲に無関心な社会になってしまうのではないか。以前そんなことを考えたことがあったのだが、この骨伝導イヤホンというテクノロジーは、この「相手と閉じない」関係性を生むものになるように思える。
僕は仕事が行き詰まると、歩き回る。外に出て散歩することもあるが、今はこのbocoのイヤホンをつけて歩く。すると、10分のつもりが、20分、30分と歩いてします。1時間、仕事場の周りを歩き続けたこともある。
特に日中の散歩は、秋も感じられ気持ちいい。色づき始めた樹木を見ながら路地を曲がる。その先にある和食屋さんから、魚を焼く匂いがしてくる。視覚や嗅覚で外部を感じながら、好きな音を聴く。手ぶらでポケットにはスマホのみ。イヤホンの軽さも装着感を感じさせず、身軽な自分の身体を感じながら歩くことができる。そうやって歩いているとついつい遠回りしてしまうのだ。そう、bocoは「歩きたくなるイヤホン」だと思う。
bocoのイヤホンをしながらの散歩の時間は、一人の時間でありながら自分が街に溶け込んでいることが感じられる。かつて、レストランひらまつの創業者である平松博利さんが「カフェは、都会の中で一人でいても寂しくない場」とおっしゃっていたのを思い出した。体との接点が違うだけで、自分という存在の感じ方もこれだけ違うのは不思議である。
最後に、音質についても書きたい。音の違いは一目瞭然だ。装着感がそうさせるのか、音が尖ってなく、優しく感じる。頭の奥の方から聞こえてくる感覚がある。明らかに音の出どころが違う。それが、ぶっきらぼうに聞こえるドラムの音からも表情が伝わってくるのだ。僕はいまだに80年代のロックを聴くことがあるが、bocoでナックの「マイ・シャローナ」を聴くと、イントロのドラムからゾクゾクし、ギターソロでは頭を振りたくなってくる。
装着感といい音質といい、五感に新たな質感を与えるイヤホンなのである。
VOOXは今年グッドデザイン賞を受賞しましたが、同時に受賞されたのがこのbocoさん。そんなご縁もあり、現在VOOXではbocoさんのご協力のもと、プレミアムプランユーザーの方を対象に、同社の完全ワイヤレス骨伝導イヤホン Boco PEACE TW-1(税込15,950円)のプレゼント企画を実施しています。締め切りは11月27日(土)、合計で20名様にチャンスがあります。皆さんからのご応募をお待ちしております。
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